古都の遺跡アユタヤー

こんにちは、kmartです。

タイで遺跡と言えば世界文化遺産に登録されたアユタヤー遺跡です。
バンコクから北へおよそ80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲にアユタヤーの町はあります。
17世紀にはヨーロッパ諸国とも外交関係を結び、「ロンドンのように見事」と称えられたほどの国際都市でした。
しかし、たび重なるビルマとの戦いを経て、1767年にアユタヤーは陥落しました。
ビルマ軍の手によって建造物の多くは徹底的に破壊され、顔のない仏像や途中から崩れ落ちている仏塔、土台だけが残された寺院など、かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の町がアユタヤーです。

アユタヤー王宮跡

アユタヤー北方のスパンブリーとラウォーの支配者だったウー・トーン王が、新たに建国したアユタヤー王国の中心とした場所。
1351年に王宮が建てられ、その後も歴代の王の手によって宮殿が増築されたが、ビルマの侵略によって徹底的に破壊され、現在では見るべきものは残っていない。

ワット・プラ・シー・サンペット

王宮跡の南にある、アユタヤー王朝の王室守護寺院。
1491年に建立され、1500年には高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像が建造されたと伝えられているが、ビルマに侵略された際に跡形もなく破壊されてしまった。
現在残っているのは、セイロン様式で建てられた3基の仏塔だけで、それぞれの仏塔の中に3人の王の遺骨が納められています。

ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット

高さ17mのプラ・モンコン・ボピット仏を本尊とする寺院です。
仏像は1603年に別の場所からここに移されたと言われています。
この寺院もビルマに破壊されましたが、その後ラーマ5世が再建し、1956年にはビルマからの寄付も受けて礼拝堂が復元されました。

クンペーン・レジデンス

アユタヤー時代の様式を再現したタイの伝統家屋です。
内部はチーク材の床が美しく磨かれた気持ちのいいスペースになっており、池のある庭園は散歩に最適です。

ワット・ローカヤースッター

ウィハーン・プラ・モンコン・ボピットの裏から曲がりくねった道を進むと、広々とした草原に並ぶ遺跡群があり、一番奥にあの「ストリートファイターⅡ」のキャラクターでお馴染みのサガットのステージではないかと思われる、全長28mの寝仏があります。
これを見れば、「ストリートファイターⅡ」が好きな人は満足できます。
この現在ある寝仏は1956年に復元されたものになります。

ワット・マハータート

ワット・プラ・シー・サンペットと並び重要とされている寺院です。
高さ44mの仏塔があったと言われるが、やはりビルマに破壊され、現在その面影を残すのは、木の根に取り込まれてしまった仏像の頭部、苔むしたレンガ積みの仏塔、頭部を落とされた仏像だけです。
中心にあった仏像は1991年に崩れたが、1956年にその地下から数々の仏像や宝飾品が発見され、現在はチャオ・サーム・プラヤー国立博物館に展示されています。

ワット・ラーチャブーラナ

1424年に8代王ボロムラーチャー2世が、王位継承争い倒れた2人の兄を火葬した場所に建てたものです。
初めはクメール様式に似た二つの仏塔だけだったが、のちに大きなクメール式仏塔と礼拝堂を増築し、寺院の体裁を整えました。
1958年の修復の際に、ポロムラーチャー2世が2人の兄のために納めた宝物箱が発見され、こちらもチャオ・サーム・プラヤー国立博物館に展示されています。
この建物は、途中まで上ることができ、内部には小さな空間があり、アユタヤー時代の壁画がわずかながら残っています。

ワット・プラ・ラーム

1369年、2代王ラームスワンによって建てられた美しいクメール様式の寺院です。
規模が大きく、見応えのある遺跡で、ここにはウー・トーン王の遺骨も納められていたようです。
寺院の北側の広場には、1970年に除幕された青銅のウー・トーン王の像も建っています。

ワット・スワン・ダーラーラーム

現チャクリー王朝初代王ラーマ1世の父によって建立され、ラーマ1世が王室寺院としていた場所です。
本堂には150年ほど前に描かれた仏陀の生涯の壁画が残っている。
礼拝堂内には、ナレースワン王の一生が描かれた洋風壁画もある。

スリヨータイ王紀のチェーディー

1548年にビルマ王タビンシュエチがアユタヤーへ侵攻した際、王紀スリヨータイは夫のチャクラパット王とともに戦闘に参加し、夫の危機を救おうとしてビルマ兵に殺害された。
王は戦後、王紀の勇気をたたえるため、このチューディーを建立しました。
白と金の対比が美しい塔の中には、王紀の遺骨が安置されています。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

セイロン(現在のスリランカ)に留学し帰国した僧侶たちのために、初代王ウー・トーン王が建てたと伝えられる寺院。
境内中央の仏塔は、1592年に20代王のナレースワンが建てたものです。
高さが62mあり、ビルマ王子との一騎打ちに勝った記念塔でもある。
ナレースワン王は、ビルマが改築して高くしたワット・プーカオ・トーンに対抗して、天を突くような高い塔を建てようとしたが、わずかに及ばなかった。
広い境内には中央のチェーディーを囲むように何十もの坐仏像がずらりと並んでおり、比較的大きな寝仏もあります。

ワット・パナン・チューン

本尊は1325年に造られたと言われる高さ19mの黄金の坐仏像プラ・チャオ・パナン・チューンで、今なお人々の信仰を集めている。
また、中国から連れてこられたソーイドークマークという伝説上の悲劇の姫の祠があり、中国系タイ人に信仰されている。

日本人町跡

16~17世紀、アユタヤーには中国や近隣アジア諸国のほか、ポルトガルやオランダ、フランス、イギリスなどヨーロッパ諸国からの商人も集まっていた。
アユタヤー王はこれらの外国人に住居を与え、町を造成することを許可していた。
こうしてできた町のひとつが日本人町です。
徳川家康時代から御朱印船貿易で栄え、1610~1630年の最盛期には1,500人程度の日本人が住んでいたと言われています。
彼らの多くは交易に従事したり傭兵となったりしていた。
その後、徳川家光時代の第3次鎖国令により御朱印船貿易も終わりを告げ、日本人町も消滅しました。
現在では町の面影は全く残っていないが、日本人町をはじめ日泰交流の歴史についての博物館、日本庭園、記念碑などが敷地内に建っている。

ワット・ナー・プラメーン

王宮の対岸にあり、王の火葬場の跡に13世紀に建てられた。
1767年のビルマによる侵攻の際には破壊を免れたが、痛みがひどく、ラーマ3世の時代に建て直された。
ここの本堂は幅が16m、奥行きが50mもあり、アユタヤーで最大です。
本堂内に祀られている黄金の仏像は、1569年にタイとビルマがこの寺で講和会議を行った際、証人の代わりとして持ち込まれたものです。
小さな礼拝堂は1838年に建立されました。
境内にある3基の古いチェーディーのうち、南側のものは木の根に覆われた神秘的な状態になっている。

ワット・プーカオ・トーン

王宮跡から北西へ2~3kmの水田地帯にそびえ立つ、「黄金の山」という意味の名を持つこの寺院は、1387年に5代王ラームスワンによって建立されました。
バンコクにあるワット・スラケートのモデルになったという、高さ80mはあろうかというチューディーがひときわ目を惹きます。
ビルマ占領下でビルマ様式に改築されてしまったが、その後20代王ナレースワンによってタイ様式に建て直されたとされている。
1956年には仏暦2500年記念として、最上部に2.5kgの黄金の珠が取り付けられたが、盗難に遭ってしまい、今あるのは金メッキのみです。
絶好のサンセットポイントとしてオススメです。

ワット・チャイワッタナーラーム

1630年にプラサート・トーン王が、母親のために建てた寺院の跡です。
カンボジアに対する勝利を記念し、境内の中央に高くそびえる仏塔をクメール様式にした。
1767年には侵攻してきたビルマの駐屯地にされ、破壊されてしまった。
現在では修復され、広々とした敷地にクメール風の美しい装飾を施された塔を見ることができる。
破壊された仏像も数多く残されている。

まとめ

アユタヤーへはバンコクからバスで1時間半から2時間程度なので、日帰りツアーなども多く催行されている。
時間がない人や効率よく回りたい人にはツアーもオススメです。
個人的には列車で現地まで行って、レンタサイクルやレンタバイクを借りてのんびりと回るのがオススメです。

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