こんにちは、kmartです。
1日ではとても回りきれない、無数の見どころをもつペトラ遺跡。
今回は8つのトレッキングルートを紹介していきます。
ひとりで行かない
トレッキングルートは、ほとんどがひと気のない山道を通ることになる。
もし何か起きたとしても、助けを呼ぶのは容易ではないし、動けない状況に陥ったとしたら致命的だ。
実際、観光客が崖から転落して10日後に発見されたという事件もある。
トレッキングするときはできる限り2人以上で行きましょう。
装備はしっかり
トレッキングルートは運動靴が必須。
カフェなどもほとんどないため、重いが大きめのペットボトルは持参しよう。
決して後悔はしません。
ガイドを雇う
ルートのいくつかはガイドが必須なものもあるが、必要でなくても、可能な限りガイドを雇ったほうがいい。
もちろん危険だからということもあるが、これらのルートは観光客が少ないため、道しるべなどが整備されていない。
ガイドの手配はチケットオフィスでなくとも、遺跡内にいるベドウィンに頼めばいい。
ペトラ遺跡は彼らにとって庭のようなものだ。
ただし、女性ひとりでベドウィンのガイドとふたりきりになるのは気をつけよう。
トレッキングルートは人通りが少なく死角だらけだ。
犠牲祭壇に登りワディ・ファラサへ
犠牲祭壇からワディ・ファラサに抜けるルートは、トレッキングルートの中でも最もポピュラーなもの。
時間が取れるなら、ぜひ挑戦したいルートだ。
もしくは、スタンダードルートにおいて、往路でこの犠牲祭壇からワディ・ファラサを通り、帰りに王家の墓やローマ劇場前を通るのもおすすめだ。
ファサード通りを通り過ぎ、ショップ後ろの階段から、犠牲祭壇までは1時間弱。
現代になって再整備された古代の階段が続いているため比較的登りやすい。
途中いくつかベドウィンの露天商が見られ、コインや土器のかけら、布などを商っている。
頂上付近にはカフェがあり、その手前を左に登っていくと2本のオベリスクだ。
そして右の登り道を行けば頂上、犠牲祭壇にたどり着く。
犠牲祭壇からの眺めは素晴らしく、ペトラの北にあるベドウィンの村まで見渡せる。
ここでお昼にするのもいいかもしれない。
ここからワディ・ファラサへは、みやげ物屋の前を横切っていく。
ワディ・ファラサを通って柱廊通りまでは約1時間。
階段と道が続いているので迷うことはないだろう。
しばらく階段を下っていると大きなライオンのモニュメントが壁に彫られている。
さらに下ると階段が終わり、庭の墓、ローマ兵士の墓、ルネッサンスの墓など多くの墓が見られる。
道はワディへと変わり夾竹桃が姿を見せ始める。
かつてのペトラ中心部、柱廊通り方面へ進むと、途中にアッザントゥール、ナバテア人とローマ人の住居跡などがあり、そのまま大寺院や、カスル・アル・ビントまで行くことができる。
このルートのハイライトは、古代ナバタイ人が神に生贄を捧げたという犠牲祭壇と、ワディ・ファラサに点在する遺跡群。
特にワディ・ファラサは近年、発掘隊による発掘調査が進み、新たな発見が相次いでいる。
また、春から秋にかけては、ワディに沿って生えている夾竹桃が咲きとても美しい。
ウム・アル・ビヤラ
ペトラで最も高い岩山であるウム・アル・ビヤラ。
一説には、ナバタイ人がやってくる前にこの地に住んでいたエドム人の避難所セラがあった場所だと言われている。
ユダヤの王アマジアが1万人ものエドム人を崖から突き落としたという逸話が残っており、現地では呪われた場所として恐れられている。
カスル・アル・ビント裏からファラオの円柱を通り、蛇のモニュメントへ向かって進む。
右側にはナバタイの墓が連なっており、一番大きな墓を過ぎたあたりに階段の始まりとウム・アル・ビヤラの案内板がある。
あまり目立たないので注意深く探そう。
そこが登山のスタート地点だ。
始めはそれほどでもないが、階段は中盤から急勾配になり、少し登るたびに息切れしてしまうほどだ。
よくもこんな場所に町を作ったものだと感心せずにはいられない。
頂上には平らな斜面が広がっており、紀元前7世紀のエドム人の村、8つの溜池跡がある。
もっとも、今となってはただの瓦礫の山にしか見えない。
また、頂上の東端にはナバタイ人の寺院跡があり、そばで神の像が見つかっている。
頂上からの景色は壮観だが、緑は崖になっているのでくれぐれも気をつけよう。
下りは比較的楽だが、階段が急なので足に負担がかかる。
ナバタイ人に土器の作り方を伝授したというエドム人。
彼らの痕跡が見られる数少ないポイントがウム・アル・ビヤラだ。
また、山頂へと続く古代の階段は古く味があり、興味深い。
ワディ・シヤーグ
遺跡公園内にはいくつものワディが走っているが、緑が多く夾竹桃が咲き乱れ、小川が流れるワディ・シヤーグは、癒しのオアシスといえる。
途中にはオリーブ畑も見られピクニック気分だ。
バシンの反対側からワディに下りることができる。
道なりに進むと、右側にナバタイ人のフラスコ画が残る遺跡がある。
さらに行くと、ナバタイ人の採石場跡が見られる。
道沿いにはまるで街路樹のように夾竹桃が咲き誇り、まるでピクニック感覚だ。
途中オリーブやフルーツの畑がいくつかあり、しばらく行くと、小さな水の流れが確認できるようになる。
流れは途中でトレッキングルートから外れるが、最終的に小川まで降りることができる。
冬は洪水の可能性がある。
見どころはもちろん、夏場でも枯れない小川の流れと咲き誇る夾竹桃。
乾燥するペトラにおいては、まさにオアシスといえる。
ただ小川自体はそれほど綺麗ではない。
それから、ささやかだがナバタイ人の遺跡が見られる。
ヤギを放牧したり、農作業をするベドウィンに会うこともある。
ジャバル・フブサ
かつてのペトラの市街地、そしてエル・ハズネ。
ふたつのビューポイントを楽しめるトレッキングルート。
ひたすら山道を進むので体力的にはきついが、ペトラの見どころを山の上から眺められるので、余力があれば挑戦したい。
宮殿の墓の北東に、山頂への階段入り口がある。
階段を20分ほど上がると、丘の上にナバタイ時代の貯水槽があり、すぐそばに第一のビューポイントがある。
左はローマ劇場から、右は柱廊通りまでを見渡すことができる。
さらに少し進むと、ベドウィンの住む小屋があり、その手前に階段があるので、そこを降りて、さらに進むとエル・ハズネを望む第二のビューポイントに着く。
ハイライトはふたつのビューポイント。
特にエル・ハズネを上から見るポイントは現在はここしかない。
頂上付近にはナバタイ人の貯水槽もあるが、あまり見応えはない。
ワディ・ムズリム
ナバタイ人はダムを作り、ワディ・ムズリムへと水を誘導した。
それはシークへ水が流れ込まないようにするため。
ナバタイ人の痕跡も多く残る、シークよりもずっと狭いルートを探索しよう。
まずシーク入り口にある橋の手前にある道を右に曲がる。
すぐに道が分かれるが、右に行けばワシのモニュメントへ続く。
左へ進むと、ナバタイ人のトンネルへ続いている。トンネルを抜けると峡谷はどんどん狭くなり、道もかなり険しい。
途中、ナバテア人のダムやアーチなどの遺跡も見られる。ワディを抜けると、道は王家の墓へと続いていく。
ナバタイ人の高い治水技術を見ることのできる、ナバタイ人のダムやトンネル跡、そのほかワシのモニュメント、アーチなど見どころが多い。
また、シークより狭い峡谷は道が悪く、よくいえばスリル満点だ。
探検気分を味わえる。
ジャバル・ハールーン
ペトラ遺跡からも遠くに眺めることのできるジャバル・ハールーンだが、その頂上にかすかに見えるのはモーセの弟、アロンの墓だ。
ペトラでのトレッキングでは最も時間のかかるもののひとつ。
カスル・アル・ビントからファラオの円柱を通り、蛇のモニュメントを過ぎ、西にあるジャバル・ハールーンの麓までは馬やロバで2~3時間。
そこから山頂にあるアロンの墓までは3時間の登山。
標高は周辺で最も高い1,395mだ。
アロンの墓に入りたければ、麓に住むベドウィンが鍵を管理しているので、あらかじめもらっておこう。
現在でも聖地として崇められているアロンの墓。
現在見られる白いドーム型の建物は1459年に建てられたものだ。
周辺ではナバタイ人の遺跡が見つかっている。
リトル・ペトラ
ナバタイ人のキャラバンの拠点として機能していたのがリトル・ペトラ。
車で訪れるのが普通だが、ペトラ遺跡内からもアクセス可能だ。
ラクダなどを雇って、かつてのキャラバンのように砂漠を横断しよう。
トゥルクマニヤの墓前を通り、ひたすら北上する。
途中セイフンと呼ばれるベドウィンの村の西を通り、岩山の峡谷を抜ける。
砂漠に出たら目の前にある岩山の西に道がある。
道に沿って歩いているとまず見られるのがアル・ベイダ。
さらに進むとリトル・ペトラの入り口にたどり着く。
隊商キャラバンの中心地であったリトル・ペトラには、宗教上の中心地として機能していたペトラとはひと味違う雰囲気が感じられる。
また、アル・ベイダは地味ではあるが、人類が狩猟、採集の生活から定住へと移行する時期の重要な遺跡。
一見の価値はある。
ワディ・サブラ
ペトラの南約8kmにアル・サブラと呼ばれる遺跡がある。
ほとんど訪れる人もいないのだが、小さな劇場や円柱などが残っており、なかなか見応えのある遺跡だ。
ペトラ遺跡からは、蛇のモニュメント前を通るルートと、南東に向けて岩山を抜けるルートがある。
蛇のモニュメント前を通るルートのほうが難易度は高い。
いずれにしても、ガイドを伴い、ワディに沿ってひたすら南下しよう。
アル・サブラにはいくつかの寺院、橋、要塞跡、ローマ劇場、貯水槽などが見られる。
アル・サブラで有名なのは小さなローマ劇場。
1828年にペトラを訪れたフランス人、レオン・ドゥ・ラボルドの画でも知られている。
25m上部にある貯水槽からパイプで水を流し、水を貯め、海戦さながらのゲームを行っていた痕跡があるという。
また、石炭と漆喰でコーティングされ、深紅に塗り込まれた円柱も見応えがある。
アル・サブラはペトラへの侵入を防ぐ南の要衝としても機能していたため、駐屯地跡のようなものも確認されている。